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Why Japanese People~!日本人はみんなエスパー?!

「ごはん?なんでもいいよー」(本音:オシャレで美味しいお店ならね!)

「友達の話でね・・」(本音:私の話なんだけどね・・)

女性であれば、心当たりはないでしょうか?

本音と建て前を使い分けつつも、察してほしい乙女心。

「男にはわからん!」

と困っているそこの男性も、身に覚えのない話ではないはず。

例えば、お酒の席に誘われたとき「今日は、ちょっと・・」というだけで都合が悪いことが伝わる。

例えば奥さんに「おい、あれ」と言うだけでぴったりのものを持ってきてくれる。

そう、日本には”察する”文化があります。

これは外国人から見て不思議な風習なのだそう。

”察して”は甘え?それとも・・?

「人の気持ちを慮りすぎているところが、私はそれまで日本人の長所と思えていなかったんですけど、 やっぱりノーって言わないというのは、いつでも相手を傷つけないようにする優しさだと改めて感じました。 たとえば『トイレどこですか』って聞くと、外国なら『トイレ? 上の階』って言うだけですけど、 日本だと、本当に申し訳ありませんというような顔しながら『3階にしか……』って。 いちいち、他人の生理現象にまで共感してくれるでしょう。 こんなに共感してくれる民族ないですよ。そんな民族、私、60カ国行ってもなかったですよ」(たかのさん) 出典:J-WAVE NEWS、旅の達人 たかのてるこ「日本は世界一のスピリチュアルな国」

http://www.j-wave.co.jp/blog/news/2014/09/post-822.html

日本で生活していると、なかなか気づかない視点ですね。

「ノーと言えない日本人」なんて揶揄されていますが、日本人なりの思いやりなの。

|なぜ日本に”察する”文化があるのか

なぜなら、日本語というのは、主語がなくても成立する文法形式ですので、主語がなくても、そのときの物事の状況を把握して、何を指しているのかを理解しながら話の内容も理解する、という感性がないと、コミュニケーションが取りにくいからです。

たとえば、道を歩いている人が、ハンカチを落としたとします。日本語ならば、「ハンカチを、落としましたよ!」と、声を掛けますよね。でも、英語になれば、「主語」が入って、「あなたが、ハンカチを落としましたよ」と、形式上はなりますね。英語の場合は、IとかYOUとかITとかが、その単語に深い意味はなくても、形式として入っていきます。

しかし、日本語では、その部分は、特に強調させたいなどの理由がない限り、なくても意味が通じれば省かれる言葉も多いので、その都度、話を聞いている人が、脳内補完して、会話が進んでいきます。

生まれたときから、この会話をする世界にいるわけですから、自然に、主語の部分を、自分の想像力で補いながら、相手の言っていることを理解する感覚は、養われていきます。 察する感覚の得意度には、個人差はあるとしても、自然に誰もが分かるもの、とされているところがあるので、わざわざ親や学校で、「このように省かれている部分は、自分が察するのが普通なのよ」とは、教えられることはまずありません。

出典:スピリチュアルティーチング「察する」という感覚。

http://lapis-lazuli.way-nifty.com/true/2012/08/post-5457-1.html

私たちは知らず知らずのうちに、相手の意図を積極的にくみ取る感覚を鍛えてきたのでしょうね。

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